幼馴染は特別だった。
この世に唯一無二の存在、世界を救う救世主なのだから。
彼を守る盾となり、剣となるべく俺は在る。
故に隣に立つことを許されたのだと、幼い頃からそう思っていた。

だから、










―剥離―










寒さ厳しい晩秋の宵、コト、と微かな音ひとつ。
書類を繰っていた手を止めて、落とした視線は扉の方へ。
月も落ちぬこの真夜中に、訪ね来る者などひとりしかいない。

開いているぞと言葉を投げ、動かぬ相手に眉根を寄せた。
普段ならば断りもせず入り込んでくるものなのに。
聞き間違いかと思いはすれど、扉越しの気配に打ち消される。

はあ、と溜息ひとつ吐き、休憩がてら席を立った。
錠の下りていない扉に手を掛け、開けた先には白い人影。
夜闇に浮かぶ着衣と肌と、僅かな光に煌めく髪と。
俯いていた顔を上げ、緋色が笑みに細められた。

「来ちゃった」

無邪気さを装う声音で告げられ、知らず知らずに溜息が落ちる。
入るようにと促すと相手は何故か躊躇いを見せた。
困ったように下がった眉と、迷いに揺れる緋色の眸。





寒さに震える肩を目に留め、有無を言わせず腕を引いた。
掴んだ手首の冷たさに、意図せず眉間に皺が寄る。

「風邪でもひいたらどうするつもりだ」

指の先まで冷え切りながら、身に纏うのは薄手の部屋着。
見ているだけでも凍えそうだと上着を掛けてやりつつ零す。
体温の残るそれに安堵したのか、ほう、と緩く息を吐いた。
次いで口を尖らせて、拗ねたような目を向ける。

「今までひいたことなんてないじゃない」

そう言いながらも襟を掻き寄せ、あったかいけど、と顔を埋めた。
何だかんだ言ってはいたが、寒いものは寒いらしい。





「それで」
「ん?」
「どうしたんだ、こんな時間に」

定位置である長椅子に座らせ、温かな茶を手渡して問う。
ふくふくと立ち昇る湯気の香りに相手は笑むように目を細めた。
けれど口を付けようとはせず、ただ水面を見詰めるだけで。

「儀式の日取り、決まったんだ」

ぽつ、と落ちたその声色は、平素と同じように聞こえた。
その分、余計に痛々しい。
何でもないことのように告げながら、彼は淡く笑んでみせる。

「……いつ、だ」
「明日」
「、なに」
「だから、明日」

急だよね、と零す声。僅かに落ちた肩と、視線。
揺れる水面を眺める目は、どこか暗く危うげだった。
瞬きひとつで隠れはしたが、見えぬ処へ沈めただけなのだろう。
昔からの、悪い癖だ。





「なんか落ち着かなくてさ」
「……そうか」
「うん、そう」

仕事の邪魔してごめんね。
そう言いながらことりと頷き、やっと茶器に唇を寄せる。
が、慌てたように口元を覆い、熱い、と紡ぐ小さな声。

大丈夫かと伺った先で、カチリと視線がぶつかった。
二人揃って二三度瞬き、くすくすと肩を震わせ笑う。

「これ飲んだら帰るね」
「ああ」

頷きと声を返しながら、自分の茶器を手に取った。
冷たくなった中身を飲み干し、新たに熱い茶を注ぐ。
香りの飛んだ、けれど温かなそれは、冷え切った指に沁みるようだった。





「……銀閃、」

久しく耳にすることのなかった名を呼ばれ、どうしたと返す言葉が遅れる。
薄暗い室内に浮かび上がる白い顔には淡い微笑みが浮かんでいた。
今にも消えてしまいそうな、儚さを背負った、表情。

「ありがとうね」
「何に対しての言葉だ、それは」
「うーん、色々?」

こと、と首を傾げてみせ、ふふ、と小さく笑みを零す。
身体もだいぶ温まったのだろう、血の気の戻った頬が赤い。
今夜は誤魔化されてやるとしよう。
溜息と共に零れ落ちたのは自覚の外の頬笑みだった。





話している間に冷めたらしい茶を一息に煽って立ち上がる。
ふわりと揺れた鴇色が、薄暗がりにも鮮やかで。

「お茶、美味しかったよ。それじゃあ、おやすみ」
「ああ。……月白、」

扉の向こうへと消える寸前、意図せず紡いだ相手の名。
足を止め、首を傾げて、なぁに? と問われて答えに窮する。
右へ左へ視線を泳がせ、何も見出せずに苦笑した。

「……いや、なんでもない。また明日、な」
「、うん。……また、明日」

ひら、と振られた手のひら越しに、歪んで見えた相手の笑顔。
確かめようとする暇もなく、遠ざかりゆく白い影。
ほんの微かな違和感を抱きながら、けれど深くは考えなかった。
何も急ぐ必要はない。明日確かめれば済むことだ。

そう思いながら扉を閉じる。
気付かぬままで、目を閉じた。










幼馴染は特別だった。
この世に唯一無二の存在、世界を救う救世主なのだから。
彼を守る盾となり、剣となるべく俺は在る。
故に隣に立つことを許されたのだと、幼い頃からそう思っていた。

だから我が目を疑った。
儀式の場を染める夥しい緋色と、そこに転がる白い影。
傍らに蹲る小さな身体は十に満たないであろう子供のもの。

その手の中には一振りの剣。
幼馴染の身を貫いて、殺めたであろう澄んだ刀身。





彼は確かに救世主だった。
命を以て滅びを退け、世界に春を呼んだのだから。





「……、……」

呼んでも返らぬ名を紡ごうとし、躊躇った末に口を閉じる。
く、と軽く引かれた袖、不安げに見上げる子供の目。
苦笑しながら髪を撫ぜると、くすぐったいのか首を竦めた。
仄かに染まった頬に触れ、その温かさに安堵する。

この子供も、救世主だった。
そう在るようにと育てられた幼馴染と同じように。
言葉を失くした子供の手を引き、歩き始めた宛てのない道。

狂ったように咲く花の下、唇だけで彼の名を呼ぶ。
返らぬ応えに代わるかのように、子供が小さく首を傾げた。










リクエスト内容(意訳)
「救世主として育てられてきたが「玄冬」であることが判明した月白」

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