本当の海ってこんな色なのかな?
壁に掛けられた絵画を前に、ぽつりと零された小さな問い。
隣に並んで立ちながら、どうだろうなと曖昧に返した。
この絵を描いた画家の生まれは遙か遠い南の地。
画布を染めているその色彩は自分の知っている海ではなかった。
少なくとも、彩国近辺では見られるような海の色ではなかったのだ。
―潮騒―
ざくざくと靴底が砂を踏む。
ともすれば身体が傾ぎそうになる不安定な場所だった。
ふと足を止め、視線を転じる。
眼前に臨む広大な水溜まりは、あの絵のような色合いではなかった。
「……海、か」
鼻を突いた潮の匂い。
潮風に晒された肌はひりつき、べたべたとした不快感が残る。
幼馴染が傍にいたなら少しは楽しめただろうか。
「波打ち際の色ってさ」
題目のない絵の前に立ち、幼馴染が紡いだ言葉。
ついと伸ばされた指の先、指し示したのは彼の絵画。
「隊長の目の色に似てるね」
そうか、と自分は返したのだろうか。
どうにも記憶がはっきりしない。
ただ、相手の言の葉だけは、しかと刻まれ残っている。
「ねえ、見に行こうよ」
くるり振り向き投げられた言葉。
両目を細め広角を上げ、柔らかく笑んだその表情。
僅かに下がった弓形の眉も、どこかかなしげな眸の色も。
目を閉じずとも浮かんでくる。
浮かんで、滲んで、消えてしまう。
「全部終わって暇になったら」
一度言葉を飲み込んで、薄い瞼が緋色を覆った。
長い睫が頬に影を落とし、ふるりと震え、緩やかに開く。
再び覗いた紅い目に、吸い込まれてしまいそうだった。
濃く淡く感情の色を変え、どこまでも深い想いを秘めて。
すい、と差し伸べられた手の指は、緩やかに折られ握られていた。
控え目に立てた小指を残して。
躊躇いがちに続けられた、吐息の声に震えながら。
「連れてって……?」
何と自分は答えただろうか。
記憶の底へと手を伸ばしても思い出せずに唇を噛む。
絡めた小指の感触と、相手の肌の冷たさと。
安心したかのように微笑った相手の顔は覚えているのに。
自分の言葉を忘れたと言って、あいつが聞いたら笑うだろうか。
春告げの儀を終え、季節が廻り、日差しは強く夏色に。
約束を果たそうと思った矢先、幼馴染は姿を消した。
前触れもなければ書き置きもなく、手掛かりひとつ見付からない。
残されたのは叶わぬ約束と、色の褪せた世界だけ。
「……月白」
ぽつりと零した大切な真名は潮風に浚われ掻き消される。
求める応えは一向に返らず、潮騒ばかりが鼓膜を掻いた。
リクエスト内容(意訳)
「二人で海へ行くという約束を果たせず嘆く隊長」
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