月も隠れた暗闇の中、ざり、と足音ばかりが響く。
生温い風を頬に受け、寒くもないのに震えが走った。
傍らの気配に安堵しつつも蟠るのは底知れぬ不安。
木々を揺さぶる風の音を聞き、知らず鼓動が速まった。










―今夜も月は出ぬそうな―










ねえ、服の裾を引かれ、心臓がびくりと大きく跳ねた。
悟られぬよう振り返った先、上目遣いの視線を受ける。
なんだ、と小さく言葉を返すと、恐々と声が紡がれた。

「あの話、ホントかな」

仲間で集まり始まった怪談話を思い出す。
懐中電灯で顔を照らしつつ、一人ひとつずつ披露した。
その中でも一際背筋を冷やした話がぐるりと脳裏に甦る。





怪談話としては一般的な、身分違いの恋をした一組の男女の物語。
人目を憚り会うことも叶わず、遣り取り出来たのは手紙だけ。
そんな身の上を儚んだ二人は駆け落ちしようと約束を交わす。

しかし、待ち合わせの場に男は来なかった。
流行病に伏せていた男が娘を迎えに訪れた時、娘は既に世を去っていた。
悲しみの果てに病に倒れ、男からの手紙を抱いたまま息を引き取ったのだと言う。
失意に暮れた男も、後を追うように死んだのだそうだ。

今でも娘は男を信じ、約束の場所で待ち続けている。
そうして道行く人々の肩に、そっと冷たい手を伸ばすのだとか。
来てくれたの、と囁きながら。





「信じたのか?」
「……そうじゃないけど」

だってあいつ、あんなこと言うから。
そう続けられて頷いた。
確かに、気掛かりなことを言っていたから。

怪談話の流れに乗って、肝試しをしようと誰かが言った。
最後の最後まで難色を示した友人の台詞を思い出す。

祠の裏には近付かないこと。
危ないと思ったらすぐに帰ってくること。
二人一組で行動し、決して一人で行動しないこと。

嫌に真剣なその表情に皆一様に首を傾げた。
何をそこまで恐れるのか、と。
口々に問えば青褪めた顔で、あれは本当の話なのだ、と重い口調でそう言った。
娘が待ち続けていると言うのは、他でもない、その祠なのだと。





ふるりと小さく身を震わせて、月白がぴったりと身を寄せる。
昔から、この手の話題が得意ではないのだ。
怖がりな癖に聞きたがり、ひとの布団で夜を明かす。
慣れっことは言え、そろそろ治して欲しいものだ。

「あ、」

ぴたりと相手の足が止まり、す、と前方を指差した。
ぼんやりと浮かぶその影は半ば朽ち掛けた小さな祠。
その入口には格子の戸が。

「あそこだな」

ざりざりと祠へ歩み寄り、懐中電灯で正面を照らす。
仲間の結い付けた紙切れが仄かに白く浮かんで見えた。
二人の名前を記した紙を同じように格子に結ぶ。
少しの風では解けないよう、きゅっと強く結び目を引いた。

「こんなもんかな」
「済んだら帰るぞ」
「うん……っ、」

小さく息を飲む音に、踏み出し掛けた足を止める。
祠の方を振り返りながら月白は忙しなく周囲を見回していた。





「月白?」

名前を呼んでも反応がない。
右手のひらで首筋に触れ、同様に左の肩にも触れて。
距離を詰め、右肩を掴んだ。
途端にビクリと身体を跳ねさせ、不安げな目で振り返る。
その顔は目に見えて青褪めて、色の失せた唇も震えていた。

「どうした?」
「……あ、ううん。なんでもない」

ほっとした様子で俺の手を取り、ぎゅっと強く握り締める。
仲間の元へと戻るまで、月白は一言も発しなかった。
繋がれた手は痛みを訴えるほどに強く、視線は地面に落ちたまま。
カチカチと震え、歯を鳴らす様に、言いようのない不安を煽られた。










翌朝、霧の掛かる中を全員で祠へ歩いて向かう。
結い付けられた紙を外し、肝試しの幕を引くためだった。
糊付された紙を破いて中身を確かめ、それが最後の一枚になった時。
仲間の一人が目を見開いて、怯えたような声を出した。

「なん、だよ……これ……」

震える手から紙が落ちる。
湿った地面にはらりと舞い落ち、朝日に晒されたその紙面。
俺と月白の名前の上に、覚えのない文字が踊っていた。
皆の前で名を書き記し、その場で糊付けしたはずなのに。





ひ、と月白が息を飲む。
左の肩をきつく掴んで、あの時、やっぱり、と譫言のように。
仲間の誰かが悲鳴を上げると皆一様に逃げ出した。





残されたのは一枚の紙面。
それを拾い上げる白く華奢な手指。
いとおしむように文字をなぞり、ふふ、と音のない笑みを浮かべる。

指で辿るのは震える筆跡、べったりと赤く、掠れた文字で、










やっと、きてくれた










リクエスト内容(意訳)
「肝試しする隊救」

一覧 | 目録 |