姿を消してから丸三月、ふらりとあいつは帰ってきた。
行き先も告げず書き置きも残さず今までどこへ行っていた!
叱り付けようと開いた口から言葉が発せられることはない。

飲み込んだ呼気と見開いた目と、じりじりと這う嫌な予感。
困ったように首を傾げ、幼馴染はこう問うた。

俺のことを知ってるの? と。










―霧霞む記憶―










ぼんやりと空を見上げる目は、どこか悲しい色をしていた。
眉尻を下げた儚げな笑み、陽に透けそうな白い頬。

何があった、どこへ行っていた、何を訊いても答えない。
答えることが出来ないのだ。
何も、覚えていないのだから。

「隊長さん」

空を仰いだ紅い目が俺の姿を映し込む。
隊長さん、と俺を呼び、躊躇いながらも近付いてきた。
一歩、また一歩、縮まる距離。
緩やかな歩調も繰り返される呼吸も、記憶にあるまま同じもの。
だのに、

「まだ、名前を教えてくれないの?」

隊長さんって、役職でしょう?
名前、教えてくれないの?





「……名を知らなくても困らないだろう」
「それは……そう、だけど……」

しゅん、と項垂れる朱鷺色の髪。
悲しそうに歪む二対の緋色。
伸ばし掛けた手を握り締め、食い込む爪の痛みを飲む。

姿形も声音すら、幼馴染のままなのに。
記憶だけが、思い出だけが、彼の中から抜け落ちて。
陛下のことも白梟殿のことも、俺のことすら解らない。

名を呼べと言ったのはおまえだろう。
おまえが忘れてどうするんだ。

責める言葉は胸中に留め、代わりに深い溜息をひとつ。
びく、と跳ねる相手に気付くも知らぬ振りを貫いて。





「……隊長さん」
「なんだ」
「……、……ごめんなさい」

あなたのこと、忘れて。
思い出せなくて、ごめんなさい。

奥歯を砕かんばかりに噛み締め、気にするな、と声を投げる。
絞り出すようなその声音を受け、相手の表情は晴れぬまま。





そんな顔で、そんな声で、あいつの姿で、謝るな。
あいつはそんな情けない顔をしない。
気の弱そうな声など出さない。

やっと帰ったと思ったのに。
また騒がしい日々に戻るのだと、信じていたのに。





決してこいつのせいじゃない。
それは重々承知の上だ。
叫んだところで届きはしない。
痛いくらいに、解っている。

ああ、けれど。










俺の幼馴染を、返せ。
月白を、帰してくれ。











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