ああ、なんてきれいなんだろう。
深い水底を模した目を、覗き込んで笑みを浮かべた。
足を滑らせたら二度と這い上がれないような、危うさを秘めた色をして。
それでいて艶やかで妖しげで、手を伸ばすことを止められない。

伸ばす手を、止められなかった。










―夜を抱く―










青白い光が射していた。
人の手による灯りは消えて、頼りになるのは月明かりだけ。
それすら室内を照らすには足りず、自然と薄闇に満たされる。

「ねえ、熊サン」

さらり、波打つシーツに触れて、手先にあたる肌を辿った。
その身が小さく震える様に、うっすらと笑んで目を細める。
声も何も飲み込もうとする、その姿勢すらも愛しくて。

弱々しい光の下であっても、白い肌が浮き上がるようだった。
仄かに色付く目元に触れ、つい、と指を走らせる。





「きれいだね」
「……ぁ、……っ」
「ああ、駄目だよ。噛んじゃ」

声を殺さんが為に噛み締めた唇から、一筋流れる鮮やかな色。
殊更ゆっくり身を屈め、顔を寄せて。
舌先で掬ったそれは鉄臭さの強いものだった。

口腔に広がる香りと味に、柔く傷に歯を当てる。
少量ながらも溢れる赤を、その都度舌で舐め取った。

血に濡れた舌で、唇で、呼吸を奪う口付けを。
鼻に掛かる息も、苦しげに喘ぐ声も。
寄せられた眉もきつく閉じた薄い瞼も、全部ひとりじめにしたくって。

「ね、熊サン」

何度も、何度も、繰り返す。
呼んで、強請って、奪って、塞いで。
理性も羞恥も砕いてしまえ。
そんなものはもう要らないから。





やわらかく笑って、ねえ、と呼ばわる。
伏せた瞼の境目から、つ、と一筋涙が伝った。
薄く開いたその目の色は、夜闇を映す水面のよう。

「だいすきだよ」

触れて、撫ぜて、喰んで、愛して。
濡れた眸を、震える肌を、慈しんで、掻き抱いた。

「だいすき」

紡ぐ言葉は呪詛にも似て、雁字搦めに縛られる。
相手だけでは物足りないから、自分も鎖に巻き込んだ。





果てを迎えて跳ねる体を両の腕で抱きしめる。
荒い呼吸を繰り返しながら上下する胸に耳を押し当てた。
汗ばんだ皮膚のその下で、駆け回るのは命の炎。
あたたかくて、やさしいひかり。
いとしい人を生かしてくれる、止まることのない行進曲。










髪に触れられ、顔を上げた。
細めた青と顰めた眉、困ったような苦い微笑み。
緩く柔く髪を梳かれて、その心地よさに喉を鳴らした。











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