どこか遠くへ行きたいね。
ぽつりと零れた呟きは、たぶん独り言だったんだろう。
目を丸くした僕を見て、しまった、って顔をしたから。
聞いてた? なんて訊きながら照れくさそうに小さく笑う。
こくんと首を縦に振り、繋いでいた手をきゅっと握った。
どうしたの? と視線を合わせて、それから彼はふわりと微笑う。
一緒に行こうか、と優しい声に、こっくり頷き笑みを返した。
―金曜、深夜―
タタン、タタン、と規則的に、人も疎らな電車が揺れる。
ぼんやり眺めた窓の外には見慣れているはずの街並みが。
夜になっただけなのに、街は雰囲気をがらりと変えた。
静かで、不思議で、少し怖い。
そんな思いに身を震わせて、お出掛けセットを抱き締めた。
トンネルに入ると真っ暗な窓が鏡みたいに顔を映す。
ちょっとだけ視点をずらしたら、隣に座る月白が見えた。
肘掛けを支えに頬杖をついて、ゆったりと目を閉じている。
寝てるのかな、と思いながら、じっと相手の顔を見た。
やわらかくて真っ直ぐな鴇色の髪と、瞼を縁取る長い睫。
宝石みたいな赤い目は伏せた瞼の下にある。
やさしくて、あたたかくて、とてもとてもきれいな人。
男の人に「きれい」だなんて、おかしいのかもしれないけれど。
ほう、と小さく息を吐くと、赤い目がぱっちり開かれた。
疲れちゃった? と問う声に、そうじゃないよと首を振る。
「こんな遅くにお出掛けするの、初めてだから」
「怖い?」
「……少しだけ」
口ごもりながら答えると、そっか、と軽い声がした。
ぽん、と頭を撫でられて、その手でそっと抱き寄せられる。
大丈夫だよと囁くみたいに髪を梳く手が優しくて。
触れた箇所から伝わってくる鼓動と体温があたたかい。
ふわ、と思わず欠伸が零れて、とろりと瞼が重くなる。
まだ寝たくなんてないのに、もう目を開けていられない。
ずるりと身体が傾いでしまって彼の膝に寝転んだ。
薄く開けた目に映るのは微笑んでいる月白の顔。
髪を撫ぜて、頬に触れて、寝な? と優しい囁き声。
「朝になったら起こしてあげるから」
「あなたは? 寝ないの?」
「ちゃんと寝るよ。心配しないで」
ブランケットを掛けてもらうと、一気に眠気が溢れ出る。
あたたかくて、きもちよくて、今にも眠ってしまいそう。
「ねえ、」
「うん?」
眠らないようにと言葉を紡ぐと、どうしたの? と目を細めて。
優しく優しく髪を撫でて、眠いの? と尋ねる声。
ふるりと首を横に振り、きれいな赤い目を見上げた。
「みんな、怒ってるかな?」
「……黙って出てきちゃったもんね」
手紙は置いて来たけれど、と困ったような顔をして。
その文面を思い出し、くすくすと二人で小さく笑った。
『旅に出ます。探さないでください』
たった一言綴っただけの、素っ気ない置手紙。
それをひらりと裏に返すと、続きの言葉が少しだけ。
ちゃんと気付いてくれるかな、なんて。
二人で考えたちょっとした悪戯。
「叱られる時は一緒。ね?」
「うん」
二人でお説教受けようね、と小指を絡めて約束をした。
あたたかくて、気持ちよくて、もう目を開けていられない。
柔らかなブランケットにくるまりながら彼の服をぎゅっと握った。
重ねられた手のひらが、いつもより少し温かくて。
おやすみ、と囁く声を聞きながら、僕は意識を手放した。
『日曜の夕飯はハンバーグがいいな!』
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