いつからなのか思い出せない。
誰も何も言わなかったし、いつもと同じに見えたから。
気付かなかった自分を罵り悔し紛れに唇を噛む。
千切れたそこから流れる赤を見て、哀しそうに緋色が歪んだ。
─空が落ちた日─
なにしてんの、痛いでしょ?
そう言いながら手を伸ばし、指の先で血を拭う。
細く長く白い指が赤く赤く染まってしまった。
努めて優しく触れてくれるけど、ちりりと僅かな痛みが走る。
血を拭われた唇が痛い。けれど心は、もっと痛い。
痛くて痛くて叫びたいのに、相手の表情がそれを阻んだ。
「どうして噛んだの? 何か嫌なことでもあった?」
そっと顔を覗き込んで、どうしたの? と首を傾げて。
黙っていると目を細め、花白、と僕の名を呼んだ。
下へと落とした視線を上げると月白の顔がすぐ傍に。
けれどすぐさま目を閉ざし、その表情を締め出した。
困ったように名を呼ぶ声は、いつもと何ら代わらないのに。
眉を下げた微笑みが、あの情けない顔がどこにもない。
あははと弾ける笑い声。それを裏切る彼の表情。
引き攣るだけの口元と、細められただけの両の目と。
笑顔を浮かべたつもりだろうに、それは酷く醜悪で。
誰も彼もが気付かない。当人すらも知らないままだ。
今だってほら、出来損ないの歪んだ表情を浮かべてる。
作り笑顔より質が悪い。とても見てはいられなかった。
「花白、ねえ、どうしたの? 俺、なにかした?」
「……どうして、」
「うん?」
僕が言葉を返したことに少し安心したらしい。
ほっと小さく息を吐いて、ああ、ああ、なんて醜い顔!
身体の奥から湧き出でるのはどろどろとした黒い感情。
突き動かされるかのように、相手の襟首をガッと掴んだ。
そんな仕打ちに目を見開いて、けれど柔く顔を歪める。
癇癪を起こした子供相手に、そっと宥めようとするかのように。
髪を撫ぜようと伸ばされた腕を力いっぱい叩き落した。
痛いよ、なんて口にして、ああほら醜くまた歪む。
「いつもみたいに笑ってよ! ちゃんと笑って、ねえ、どうして……!」
力任せに揺さぶって、なぜ、どうして、を繰り返す。
歪んだ笑みを困惑に変えて、相手は僕の名を呼んだ。
宥めようとする手を振り解き、彼の胸を強く叩く。
握った拳が痺れるくらい、あらん限りの力を込めて。
笑った顔が好きだった。作り笑顔でも構わなかった。
いつもいつも笑っていたのに、どうして忘れてしまったの。
どこへ置いてきてしまったの。どうしたらまた笑ってくれるの。
投げ付ける言葉は涙に濡れて、嗚咽に阻まれ切れ切れだった。
笑ってるよと言われたけれど怖くて顔が上げられない。
もっとずっと綺麗だった。そんな醜い顔じゃなかった。
声も仕草も変わらないのに、いつもの柔い笑みだけがない。
どれだけ言葉を連ねても、どうしても解ってもらえなくて。
哀しくて寂しくて悔しくて、ドンと相手を突き放す。
醜い笑顔はもうたくさんだ。誰かこの目を早く潰して!
リクエスト内容(意訳)
「笑顔が作れなくなった未来救」
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