弾む足取りで群を訪れ、扉を叩いて待つこと暫し。
応答の声に浮かべた笑みがぴしりと固まり凍り付く。
扉の向こうに佇んでいたのは玄冬ではなく魔王だった。
―贈りもの―
条件反射と言うべきだろうか。
魔王の顔を一目見るなり花白はその場から逃げ出した。
咄嗟に森へと駆け込んで、行く宛てもなくただ走る。
慣れぬ山道に苦戦しつつも決して足を止めはしない。
木の根に躓き何度もよろめき、枝葉に掻かれて傷を作った。
迫る足音、魔王の呼び声。振り向く余裕もありはしない。
なんで、どうして。
脳裏に浮かぶのは疑問符ばかり。
ここ最近は野菜もちゃんと口にしていたから、大丈夫だと思っていたのに。
玄冬、もとい魔王の逆鱗に触れるようなことはしていないはず。
思考はぐるぐる渦を巻き、つい足元から注意が逸れた。
ガッ、と木の根に足を取られ、湿気た地面に倒れ込む。
慌てて跳ね起きようとして、足首の痛みに顔を顰めた。
木の幹に縋り立ち上がれども、歩こうとするだけで痛みが走る。
痛みと焦りが交錯した時、背後の茂みがガサリと鳴った。
「花白!」
名を呼ばれ、その姿を見、ひ、と小さく掠れた悲鳴。
下草朽葉をざくざく踏み締め、近付く魔王の表情が曇った。
花白の傍らに膝を突き、挫いたのかと問い掛ける。
こくり頷く子供の顔は何もかも諦めたかのよう。
がっくりと肩を落とし項垂れ、魔王の言動を目に映すだけ。
「なぜ逃げた? 花白」
決して責める口調ではなく、けれども華奢な肩は跳ねる。
赤い大きな目がちらちら泳ぎ、魔王の顔色を窺った。
「……だ、って……また、野菜」
ぽそりと零れた言葉を拾い、はあ、と魔王は息を吐く。
逃げ出すほどに野菜が嫌いかと、濃紺の目が問うていた。
あたりまえだと思いはしても賢い子供は黙ったまま。
気まずそうに視線を逸らし、自分の足元へ落としてしまう。
「今日は無理に野菜を食わせたりはしない」
「……え?」
「と言うよりも、用は別にあるんだが」
心底不思議そうな顔の子供に、僅かな苦笑を浮かべてみせる。
懐を探り取り出した包みを、ほら、とその手に握らせて。
疑問符を浮かべる花白に、花の種だ、と囁いた。
「白い、きれいな花が咲くんだ。これを渡そうと思ってな」
だのに顔を合わせた途端、一目散に逃げられて。
少なからず傷付いたぞと揶揄する口調と目で訴えた。
手のひらに乗った小さな包み、中の種子は更に小さく。
まじまじとそれを眺める目が、戸惑うように魔王を映した。
「……それ、だけ……?」
「他に何がある」
探る視線を物ともせずに真っ直ぐ返され口を噤む。
魔王と言えば緑の野菜、緑の野菜と言えば魔王。
そんな図式が脳裏で成り立っているなどと、当人を前に言えるわけもない。
「え、と……ありがと」
「ああ。枯らすんじゃないぞ?」
「……うん」
包みの中で転がる種の、コソコソと軽い音を聞く。
魔王から貰った花なのだから、ちょっとやそっとじゃ枯れないだろう。
どんな花が咲くのだろうと思い描く顔に笑みが広がる。
ありがとう、と紡がれた声に、魔王もふわりと微笑んだ。
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