どこか遠い誰かの声で、意識は徐々に覚醒へ向かう。
重い瞼を開けた先には双子の弟の寝顔があって。
階下からの喧噪に、むう、と小さく身じろぎ呻いた。
─「いってきます」─
隣で寝ていた弟を起こし、二人並んで階段を下る。
寝ぼけ眼を擦るから、ふらりふらりと身体が揺れて。
落ちるなよ、と声を掛けると緩慢な動作で頷いた。
ダイニングに入る一歩手前で、嫌な予感に足を止める。
半歩遅れて歩く兄弟がおれの背中にぶつかった。
「っわ、どうしたの?」
「……いや、」
中から響く聞き慣れた遣り取りに、はあ、と零した深い溜息。
引き返すわけにもいかないからとドアに手を掛けそうっと開けた。
バンッと大きな音をたてたのはテーブルを叩いた黒鷹の手で。
後ろに隠れた弟の肩が、驚いたらしく小さく震えた。
「なんでいつもいつも君はそうなんだい! もう少し私に優しくしてくれたっていいじゃないか!」
「ほう? 肉ばかり食わせて生活習慣病に陥れようと画策することがおまえの言う優しさか」
「そうじゃないよ! 分からない子だね!」
「分からず屋はどっちだ」
朝食の乗せられたテーブルを挟んでぎりぎりと睨み合う次兄と父親。
幾度となく繰り返された遣り取りを見せられても呆れるばかりで何も言えない。
おどおどとする弟の手を引き、そっとキッチンの方へと向かう。
そこでは長兄が澄ました顔で黙々と食事を摂っていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
ずず、と味噌汁を啜りながら、兄は柔らかな笑みを浮かべる。
あらかじめ移動させていたらしい椅子を二脚隣に置いて、おれたちをそこへ座らせた。
ふっくらと炊けた白いご飯と、香ばしい匂いを漂わせる塩鮭。
大根おろしの添えられた出汁巻き卵は見た目もふっくらと柔らかそうで。
ほうれん草のおひたしの隣には、友人に教わったと言う漬物数種。
食欲をそそる匂いを嗅いで、腹の虫がきゅるると鳴いた。
「黒鷹、今日は何したの?」
「特に何もしてはいなかったな。いつものことだ」
ほら、と味噌汁のお椀を手渡し、兄は再び席に着く。
こうしてキッチンで食事を摂ることは月に何度かあることだった。
最初はちょっと戸惑ったけど、慣れてしまえばなんてことない。
二人揃っていただきますを言い、温かな味噌汁に口を付ける。
が、いつもと違う味と風味に、やはり揃って顔を顰めた。
恐る恐る箸を突っ込み、具を引き上げて絶句する。
「……、……」
「えっと、……レタス……?」
「……らしいな」
箸から零れた葉野菜は、ぼちょんと味噌汁の中へと落ちる。
食えるかと案じる兄の声に、たぶん、と曖昧に返事をした。
何の根拠も証拠もないが、喧嘩の原因もこれなんだろう。
今回ばかりは黒鷹の肩を持ってやってもいいかもしれない。
「弁当、そこに包んであるからな」
「ありがとう。中身は?」
「開けてからのお楽しみだそうだ。変なものは入ってなかったから、その点は安心していいぞ」
「うん」
慣れない味の味噌汁を啜り、ダイニングの方をぼんやりと見る。
未だに舌戦は終わらないらしく、飽きもせずに言い合っていた。
いつものことではあるのだけれど、今回もまた黒鷹が不利。
若干涙目になっているのがこの位置からでも見て取れた。
「支度が終わったらさっさと出るぞ。今日は途中まで送って行くから」
「茶碗は? 洗わないのか?」
「洗ってくれるさ。黒鷹が」
呆れと揶揄の混じった口調に思わず次兄の方を見る。
腰に手を当て鼻息も荒く、土下座する黒鷹に説教中だった。
ああこの分だと当面の皿洗いは黒鷹の役目になるんだろうな。
ほんの少しだけ可哀想に思うけど、助け船は出してやらない。
何しろ今日は遠足の日で、はなしろと一緒に行く約束をしているのだ。
年上のおれ達が遅刻するなんて、そんなの絶対やりたくない。
着替えを済ませて荷物を持ち、玄関のドアに手を掛ける。
外へ飛び出すその前に、くるり振り向き投げた言葉。
二人揃った「いってきます」に、ダイニングからの「いってらっしゃい」。
さっきまで喧嘩をしていた癖に、ぴったり重なる彼らの返事。
きょとりと瞬く弟と一緒に顔を合わせて小さく笑った。
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