玄冬と二人で迎えた春は次で何度目になるんだろう。
指折り数えて少し躊躇い、曲げた指を強く握る。
温み始めた風を受けても、心のどこかは冷えたままだった。
─幾度目かの春─
畑と鶏小屋の様子を見、腰を上げて目を丸くした。
扉の前に佇む玄冬が微笑みながらこっちを見てる。
壁に凭れるようにして、仄かに頬を染めながら。
「玄冬! そんな薄着じゃ駄目じゃないか!」
慌てて駆け寄り喚く僕を見て、彼は困ったように笑む。
大丈夫だと言おうとし、けれど玄冬は口を噤んだ。
寂しそうに落ちた視線に胸がきゅうと締め付けられる。
「ほら、もう中へ入ろう? ね?」
「……ああ」
久方振りの外が名残惜しいのか、何度も何度も振り返る。
吐き出す息が白く凝って彼の視界を曇らせた。
けれど微かに震える身体を無理矢理中へと押し込める。
「今日はだいぶ具合が良いんだ」
「……だからって、そんな薄着で出たら駄目。風邪ひいちゃうよ」
さあさあと促し椅子に座らせ、暖炉にポイと薪をくべた。
早く早く燃えあがれと、心の奥底で念じながら。
「お茶淹れるから待っててね」
「ああ。悪いな」
すまなそう言う声に、気にしないでと笑い掛ける。
どのお茶にしようかと悩むふりをして、頭では別のことを考えていた。
初めの一年は何ともなかった。
僕は何度か風邪をひいて、玄冬が小さな怪我をしたくらい。
治りの遅い傷を見て、彼はちょっとだけ嬉しそうだった。
普通の人間になったんだなと感慨深げに呟いて、痛みに少しだけ顔を顰めて。
おかしくなったのは、たぶん三年目から。
玄冬が風邪をひくようになって、その上なかなか治らなかった。
一度は酷く拗らせてしまい、あわや入院の騒ぎになって。
それ以来、玄冬は少しずつ弱くなってる。
野山を自由に歩き回っていた頃が嘘みたいだ。
ちょっと外出するだけで酷く疲れてしまうらしく、最近じゃ買い物にも出られない。
昨日だって熱を出して、ずっと寝込んでいたくらいだ。
「なあ花白」
「ん、なに?」
不意に呼ばれ、驚いて、取り落としかけた紅茶の缶。
はっしと掴んで息を吐き、どうかした? と顔を出す。
藍色の目は真っ直ぐに、けれど躊躇い口を閉ざして。
嫌な予感が、した。
聞きたくないと誰かが叫ぶ。
耳を塞いでしまいたくても身体の自由が利かなくて。
「……彩に、帰る気はないか」
「彩、に? どうして?」
不思議そうな顔を繕って、ことりと首を傾げてみせる。
どうしたのさ、なんて誤魔化そうとして、引き攣った笑顔をどうにか浮かべた。
じわじわと這い上がる不安と恐れ。それ以上は嫌だ、聞きたくない。
彼から逃げようとするかのように重心が後ろへ移ってく。
じりりじりりと後退り、腰が流し台にぶつかった。
「……解って、いるんだろう?」
「なんのこと」
「俺の、身体のことだ」
するりと滑る茶葉の缶。
床に落ち、甲高く鳴き、ざらざらと中身をぶちまけて。
慌ててその場にしゃがみ込み、やっちゃった、なんて言えたらどんなに良かっただろう。
けれど僕は立ち尽くしたまま、両目を大きく見開くばかり。
「ちょっと風邪をひいただけじゃない。なのに何で帰らなきゃいけないの」
「この風邪はもう治らない」
「っ治るよ!」
「花白、」
困ったような、寂しそうな声。名を呼ばれたけど首を振る。
駄々を捏ねる子供みたいに、嫌だ嫌だと繰り返し。
「治るよ、治る! 絶対に……!」
信じたくなかった。認めたくなかった。
やっと幸せになれたのに。二人で生きようって約束したじゃないか。
なのにどうして、どうして玄冬が。
「もう、長くはないんだ。だから、」
両手で耳を塞いだ僕の、頭の上に彼の手が。
びくりと跳ねた肩を抱き寄せられて、玄冬の胸に顔を埋める。
「おまえが全部背負い込む必要はないんだよ、花白」
引き攣る喉から零れる嗚咽。
幼い子供をあやすかのように背中を撫ぜる大きな手のひら。
おまえは本当によく泣くな、と。
優しい声がどこか遠い。
ずっと薄くなってしまった身体と、少し掠れた彼の声。
今更離れ離れだなんて、そんなの嫌だと繰り返す。
けれど玄冬は微笑むばかり。静かに静かに目を伏せて。
悲しそうな寂しそうな、泣き出しそうなその表情。
本当に泣きたいのは彼の方なのに、涙は止まってくれなかった。
リクエスト内容(意訳)
「シリアス」
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