ほんの少しの熱っぽさと、ひりつくような喉の痛み。
風邪を引いたのかもしれない。顔を顰めてそう思う。
転移の水晶を握り締め、吸って、吐いて、深呼吸。

ちょっとくらいなら大丈夫。
そう思いながら目を閉じて、束の間の浮遊感に身を任せた。










─目眩─










訂正、あんまり大丈夫じゃない。
群の家へと降り立って、くらりと軽い目眩を覚えた。
ついでに少し気持ち悪くて、思わず口元を押さえてしまう。

迎えに出たのは玄冬ではなく、なぜか知らないけど黒鷹で。
なんで、と不満を露わにしながら、両目できつく睨み付けた。

「おや、具合でも悪いのかい?」

支えるように伸ばされた腕、少し躊躇いその手を取った。
ひょいと器用に片眉を上げて、珍しいねと相手は言う。
文句を言おうと口を開き、けれど言葉は出てこない。
代わりに込み上げる吐き気を堪えて、きもちわるい、と小さく呻いた。





「まさかとは思うが、ちびっこよ」
「……なんだよ」

探るような視線に晒されて、思わず半歩後退る。
けれどその間をズイと詰められ、近付いた距離に息を呑んだ。
至極真面目な顔をして、黒鷹が僅かに首を傾げる。
それからふわりと微笑んで、とんでもないことを口にした。

「おめでたかい?」

ずる、と足が床板を滑り、傾ぐ身体に踏鞴を踏む。
どうにか体勢を立て直して、きっと相手を睨み付けた。
吐き気も何も吹っ飛ばし、馬鹿言うなよ! と声高に。

「そんなことがあるわけないだろ!?」
「あまり大声を出すと身体に障るぞぅ。もう一人の身体じゃないんだから安静にしていなさい」
「だから違うって……!」

ぎゃいのぎゃいのと言い合う最中、不意に響いたガシャンという音。
二人ではたと動きを止め、視線は部屋の奥へと向かう。
床には砕けた陶器が散らばり、紅茶の海に沈んでいて。
傍らに立つ玄冬の顔には表情らしい表情がなかった。





「……本当、なのか……?」

投げられた問いの意味が解らず、え、と零した小さな声。
隣に佇む黒鷹が、一層笑みを深くした。

「私は男の子と女の子、一人ずつが理想だなぁ」
「っな、まだ言って、」
「本当なんだな花白!」

言うが早いか肩に手を置き、グイと引き寄せ顔を寄せる。
吐息を肌で感じるほどに縮まった距離に息を呑んだ。

「っ、おまえ、熱があるんじゃ、」
「え、あ、うん。あの、ちょっと風邪っぽいかなぁ、って」
「何故それを先に言わない! 何かあったらどうするんだ!」

何かって、なに。そう問う間もなく腕を引かれ、連れて行かれたのは寝室だった。
えっ、え? と疑問符ばかりが頭の上を飛び回る。
無理矢理に、けれど優しい手付きで、寝台の中へと押し込まれた。





「あ、の……玄冬……?」
「なんだ?」

毛布を掛ける手が止まり、そうっと頬を撫ぜてくる。
くすぐったくて首を竦めたら、その手が毛布の上を滑った。
お臍の少し下辺りを、慈しむように何度も撫でる。

「名前を、考えないといけないな」
「……、……はい……?」

脳裏で飛び交う疑問符の中に嫌な予感がじわりと滲む。
いやいやまさかと打ち消す最中、玄冬がふわりと微笑んだ。
それはそれは幸せそうな、蕩けるような優しい顔で。

「子供の名前だ。まだ男か女かも分からないが、」

どちらにしても可愛いだろうな。おまえに似て、と。
下腹を撫ぜる手は止めず、優しい優しい声で言うけど。
疑問符はどこかへ飛び去って、嫌な予感は見事的中。
ぷっつりと頭で何かが途切れ、僕はゆっくり起き上がった。





「、花白、横になっていた方が、」
「……玄冬……」
「うん?」

押し留める手を引き剥がし、にっこりと笑みを向けてやる。
ぎしりと玄冬の顔が強張り、花白? と不安げに名を呼んだ。

「ごめん今日は帰るよ。また今度ね」

こんな声が出せたのかと自分でも驚く冷たい音。
つらつら紡いで踵を返し、空間転移で彩へと跳んだ。
着いた途端に目眩がして、その場にぺしゃりと崩れたけれど。
慌てる銀朱の手を取る方が、あの場にいるよりずっとマシだ。

ぐらぐら揺れる意識の中で、はあ、と重たい溜息ひとつ。
風邪だろうなと告げる声が、これほど嬉しかったことはない。
ありふれた日々の素晴らしさに、うっかり涙ぐんでしまった。





成り行きを見守っていた黒鷹が、そっと寝室を覗き込む。
途方に暮れる息子の様子に、どうしたんだい、と問いを投げた。
花白が、と呟いたきり、視線がふらふら彷徨って。
それから縋るような目で、育ての親の顔を見た。

「黒鷹、俺は、どうすれば……」

どうやら気付いてはいないらしい。
事の真相も、花白が帰ってしまった理由も。
良くも悪くも純粋だから、ころっと騙されてしまうのだ。
騙すつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。

「そうだねぇ、とりあえず、」

優しげな笑顔を浮かべたままで、僅かに首を傾げてみせる。
子供らの思いなど関係なしに、もう少し楽しめるかな、と。
そう思いながら口を開いて、父親としての皮を被った。





「靴下を編んでみるというのはどうだろう?」











リクエスト内容(意訳)
「花白妊娠疑惑ギャグ」

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