幼馴染を一人残して燃え盛る家に踏み込んだ。
誰もいないと知っていながら気付かぬふりで奥へと進む。
炎に舐められ焼けていく、少なくはない思い出たち。
胸が苦しくなったのは、きっと煙を吸ったせいだ。
―雪火―
バカトリの描いた絵が燃えている。
三人で食事をしたテーブルも、椅子も。
どこが火元かも解らないくらいに炎は大きく育っていた。
ちりちりと皮膚が炙られる。髪の毛の先が焦げ付いた。
袖で口元を覆うけど、吸い込んだ煙に目眩がくらり。
滲む涙も胸の痛みも、全部煙のせいにして。
炎渦巻く部屋の中央で、ただぼんやりと天井を仰いだ。
死ぬのかな。なんて思う。あの雪の日に似てる、とも。
何もかもに嫌気がさして城を飛び出し雪山へ入った。
道に迷って、日も暮れて、足を滑らせ崖下へ。
挫いた足の痛みよりも、降り頻る雪に意識は向いた。
ちらちらと舞う白いそれはとてもとても綺麗だったから。
「君と会ったのも、あの日だったね」
目を開ければ、そこは火の海。
雪の代わりに火の粉が舞って、すべてを飲み込み焼き尽くす。
死を意識したあの日と同じだ。
今度はちゃんと死ねるだろうか。
煙に霞む視界と思考。涙がぼたりと滴り落ちる。
きっと今回は大丈夫。だって玄冬がいないもの。
込み上げるままにけたけたと笑った。
流れる涙を拭いもせずに。
玄冬が生きてくれるなら、彼を殺さずに済むのなら。
こんな終わりも良いかもしれない。
炎の爆ぜる音に混じって、ぎちりと耳障りに家が軋んだ。
ガラガラ崩れる家具と壁、焼け落ちてくる天井の梁。
右肩を潰され床に転がり、熱さと痛みに悲鳴をあげた。
けれどすぐに痛みは遠退き、息苦しさに何度も咳き込む。
充満した煙を吸い込んで、肺が潰れてしまいそうだった。
咳をするほど意識は霞み、視界も徐々に狭くなる。
「……くろと、」
名を呼ぶ声は掠れてしまって、ちゃんとした音にはならず仕舞い。
一度口にしてしまったら、会いたくて会いたくてたまらなくなった。
もう一度会いたい。もう一度だけ。
どれだけ願っても、叶わないけれど。
みしりと軋む嫌な音。
炎の踊る扉の方へと首を無理矢理捻じ曲げた。
誰も来ないと解っているけど、それでも、一目会いたくて。
「はは、へんなの。きみのこえが、きこえる」
濁った両目を閉じることも出来ず、暗い視界の片隅で笑った。
崩れた柱で両足が折れても、痛みなんか感じない。
ふわりと抱き上げられるような、そんな感覚に浸るだけで。
「ひとりにして、ごめんね」
炎に煽られ吹く風が、髪を頬を撫ぜていく。
倒れた家具に押されているのか、少しだけ身体が窮屈だった。
それももうすぐ終わるのだから、何の不満もありはしない。
「ごめん、ね……くろと……」
ひゅう、と喉から空気が抜けて、それきり呼吸は止まってしまった。
緩やかに動く心臓も、もうじき死んでしまうだろう。
ぽたりと頬に落ちた雫。どこから来たのか解らない水。
その正体を知ることもなく、僕の命は燃え尽きた。
燃え盛る炎に身を晒しながら華奢な亡骸を掻き抱いた。
緋に染まった両足、潰れた右腕。所々焦げた皮膚。
これ以上子供が傷付かぬようにと両の腕で抱き締めた。
光を失くした両の目が、彼の姿を映すことはなく。
麻痺した耳が拾うのは、身体を走る心音ばかり。
唯一残った触覚すらも、曖昧な感触を伝えるだけで。
すぐ傍らにあったのに。何度も名を呼び叫んだのに。
逝かないでくれと繰り返し、無慈悲な神に祈ったのに。
微動だにしない子供を抱いて、炎の中に蹲る。
流れる涙に血が混じろうとも、彼は身じろぎひとつしなかった。
二つの影は炎に呑まれ、崩れた家屋の瓦礫に消えた。
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