金属のぶつかる嫌な音。
顔のすぐ横に突き立てられたのは玄冬が腰に佩いていた剣。
頬の辺りに風を感じて浅く切れたかと思ったけれど、髪がはらりと落ちただけ。
痛みは、ない。これっぽっちも。
それが酷く腹立たしくて、泣きたいくらいに哀しかった。










─解けない腕─










苦しそうな顔が見える。悲しげな色の目が揺れている。
ああ、これでまた先延ばしだ、と思考の片隅でちらりと思った。
玄冬はきつく目を閉じて、浅い呼吸を繰り返してる。
額に薄く浮いた汗がはっきり見て取れるくらいに、近い。

「玄冬、」

小さな声で名前を呼んだら、びくりと大きく肩を震わせて。
ゆるゆると開いた深い色の目が僕の顔を映して揺れた。
逸らされるかと思った視線は、けれどカチリとぶつかったまま。

「どうして殺してくれなかったの」

戸惑い揺れる濃紺の目が驚いたように見開かれる。
薄く開いた唇からは何の音も聞こえない。
けれど両の目は雄弁に語っていた。
何を言っているのだ、と。





だって君は僕を殺すんでしょう?
世界に春を呼ぶために。この雪を、止めるために。
なのにこうして先延ばしにして、結局自分の首だけを絞めて。
そうして、悲しい顔をするのでしょう?

僕はそんなこと望んでない。
望んでいるのは、死ぬことだけ。
それ以外は何もいらないのに。
何も、いらない、のに。





「……花白……」

悲しげな目には泣きそうな色。
名を呼ぶ声は僅かに震えて、するりとその手が滑り落ちた。
床に転がる彼の剣が、カシャン、と硬い音をたてる。
氷柱みたいに透き通った刀身に僕の顔が映って見えた。

拾わなければ。そう思った。
剣を拾って、渡して、そうして。
ちゃんと、殺して貰わなければ。

足元に伸ばした腕を取られて、はっと息を飲み顔を上げた。
振り解こうにも力は強く、とても一人じゃ敵わない。
玄冬は険しい顔をして、花白、とまた僕を呼んだ。

「逃げよう」
「……え……」
「俺は、おまえを殺さない。殺したく、ない。だから、」

だから、どこか遠くへ行こう。
おまえを殺さずに済む所へ。
血を流さずに世界を救う方法を探しに。

動けずにいる僕の目の前で、玄冬は剣を拾い上げた。
煌めく刀身を鞘に納め、再び僕の腕を引く。
間近に迫る息遣い、真摯な色の目が、痛かった。





「頼む、花白」

目に見えて遠くなった死の気配。
こちらを見ている玄冬の目は真剣そのものの光を宿して。

殺さない、と言っていた。
それはきっと嘘偽りのない言葉。
嬉しいと思うはずなのに、湧き出た感情は真逆のもの。

ああ、やっぱり君は、そうやって。

ずるずると先延ばしにして、僕を死から遠ざけて。
それで、君は幸せなの? それで君は救われるの?
ねえ、違うでしょう? 僕を殺さなきゃ、誰も救われないのに。
世界も、僕も、君自身も。

なのに……なんで……?





「……なんで……」

零れてしまった呟きは、運良く彼には届かずに。
どうした、と顔を覗き込まれて、何でもないと首を振る。

この手を取ってはいけないんだ。
振り払って、振り解いて、殺せと迫るべきなんだ。
解ってるのに、わかってるのに。
なのに、どうして。

「行くぞ」
「……うん」

どうして、握り返してしまったんだろう。
何よりも死を欲していたのに。
玄冬を苦しめるだけだって、ちゃんと解っているのに。





一緒に、いれば。
彼と共に歩んでいれば、いつか必ず殺してくれる。
そう信じて、そう願って、抱えた想いに封をした。










君と一緒にいきたいなんて。
そんなことを望んだりしたら、いけないんだから。











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