鍵は確かに開いていた。
人里離れた山奥にまで空き巣に入る輩など居ないだろうから。
こんな辺鄙な場所まで来るのはこの家の住人か、余程の物好きしか居ない。
その、滅多に訪れるはずのない物好きが、テーブルに突っ伏して眠っていた。










─甘い躊躇い─










どうしたものかと立ち尽くす。
後ろ手にそっと扉を閉め、音を立てぬよう錠を下ろした。
普段なら鍵など掛けることはないのだけれど。

足音を忍ばせ、手にした荷を置き、眠る相手の顔を覗き込む。
桜色の髪と、伏せられた目と。
頬に淡く影を落とす長い睫毛に目を奪われた。
緩やかに組んだ腕を枕に、すやすやと眠る様は普段よりも幾分か幼く見える。





寒くは、ないだろうか。
だいぶ春めいてきたとは言え、この子供の住む国とは気候が違う。
肌寒い思いを、してはいないだろうか。

「……寒くないか……?」

聞こえてはいないであろう声量で問う。
案の定、反応はない。
すやすやと密やかな寝息を繰り返した。

安らかな、同時に酷く無防備な寝顔。
警戒の欠片もないその姿に、軽い眩暈すら覚える。
人の気も知らないで、と恨み言のひとつでも零してしまいそうだった。





「信用されていると、受け取るべきなんだろうな」

自嘲の笑みと共に零す。
眠る相手の耳には届かぬ、ほんの微かな喉の震えで。
頬に額に掛かった髪に、指を絡めてそっと梳く。
するりと逃げる柔な感触を幾度も幾度も追い掛けた。

触れていたい。離れ難い。
真っ直ぐな好意を向けてくれる、この愛らしい存在に。
触れてはいけない。離れなければ。
この手で汚してしまう前に。

「……なあ、花白」





どんな顔をするだろうか。どんな言葉を投げるだろうか。
おまえが好きだと言ってくれる以上に、俺はおまえを想っているのだと。
そう告げたなら、おまえは、どうする……?





指に絡めて掬った髪が、するりと指から零れて落ちる。
長い睫毛が小さく震え、押し開かれた瞼の下。
色濃い睡魔に蕩けた緋色が、俺を捉えて柔らかく笑んだ。










ああ、人の気も知らないで……!











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