殺したくないと、あいつは言った。
死んで欲しくはないのだと。そんな世界なら壊れてしまえ、と。
困惑にただ言葉を飲み、取られた腕を払えなかった。
逃げようと、生きようと、縋られた手が温かで。
嬉しくて、悲しくて、離したくはなかった。










―平行線上のアリア―










温かな手だった。優しい手だった。
小さく華奢で柔らかく、剣を振るうなど想像もつかない手だった。
空の手のひらへ視線を落とし、深く重い溜息を吐く。

温かく優しい白い手は、今は世界の果てより遠い。
確かに一度、この手で握り返したのに。
その熱の名残すら消え失せて久しい。

「……花白……」

名を呼んだ。応えはない。
あたりまえだ。花白はどことも知れぬ土地にいる。
ただ呼ぶだけで、それだけで想いが届くとは思わない。
けれど、





失われた温もりを求めるかのように、緩く拳を作り握った。
何もない。掴めない手に、黙したままで視線を落とす。
温かく柔らかで優しいあの手が、赤く染まるのを見たくはなかった。

泣きそうな顔を懸命に繕い、迷い惑い傷付いて。
何もかもを捨て去ってまで、背く必要などはないのに。





「俺は、おまえに生きて欲しい」





ただこれだけを、届けたかった。
伝えたかった。花白に。

俺さえいれば他には何も要らないと、涙混じりの言葉がよぎる。
違うだろう。そうじゃない。俺ひとり残って何になる。

「……花白……」

生きて欲しい。
春を迎えた世界に生きて、そして幸せになって欲しい。
叶うことなら見届けたいが、それは無理な相談だろう。
だから、だからせめて……










俺の願いを叶えるために、早く俺を殺してくれ。
おまえが生きてくれるのなら、それ以上はもう望まない。











一覧 | 目録 |