ああ、森だ。森がある。
げんなりと見遣る食卓の上に小規模な森林が形成されていた。
視線を少しだけ横にずらすと虚ろな目をした鷹がいる。
気持ちは痛いほどに解るけど、かける言葉が見付からなかった。
―親愛なる魔王さま―
もっさり盛られたサラダに始まり、野菜のたっぷり入ったスープ。
香ばしい匂いのするパンは薄い緑色をしていた。
一緒に並んだオレンジ色のは、なんとなくニンジンの気配がする。
黄身がトロトロの目玉焼きの隣には塩茹でした芋と世界樹の子供。
甘く似たニンジンも添えられていて、毒々しいくらいの鮮やかさ。
おいしそうな匂いがする。野菜なのに。野菜なのに!
信じたくない光景を前に、遊びに来たことを少しだけ後悔した。
「いただきます」
「ちゃんと噛んで、残さず食えよ」
「……わかってるよ」
玄冬の言葉に唇を尖らせ、サラダの緑を少し齧る。
しゃくしゃくと軽く噛み砕いて、喉の奥へと押し込んだ。
柔らかく煮られたニンジンも、覚悟を決めて口の中へ。
「食べられるようになったのか?」
小さい玄冬の問いかけに、ふるりと首を横に振る。
口にはニンジンを含んだまま。
噛むことも飲み込むことも出来ずに、舌の上で持て余す。
そうこうしてる間にも、口の中に広がるニンジンの匂い。
息を止めても過敏に嗅ぎ取る優秀な嗅覚が恨めしい。
二三度噛んで細かく砕いて、味わう前に飲み下した。
ああ、でもニンジンの味がする。
慌てて食べた芋の塩気が、口の中に沁み入るようで。
お芋ってこんなに美味しかったんだな、と可笑しな感動すら覚えた。
「よく食べたな。偉いぞ」
柔らかく微笑う玄冬の手が、僕の頭をぽんぽんと撫でた。
その口振りといい仕草といい、まるで小さい子供相手みたい。
子供扱いしないでほしい。けど、やっぱり嬉しかった。
ふにゃりと顔が緩みそうなのを堪えて、小世界樹に狙いを定める。
と、今の今まで沈黙を守っていた黒鷹が、いきなりテーブルを強く叩いた。
その衝撃でお皿が跳ねる。僕の肩も、驚きで跳ねた。
何事かと黒鷹を睨む玄冬の顔が、少し怒っているみたいに見える。
眉を寄せて、唇を引き結んで。
あまり、目にすることのない表情だった。
小さい玄冬は慣れているのか、はあ、溜息ひとつ零して黙々と食事を続けてる。
それに倣ってパンを千切り、恐る恐る口に入れた時だ。
小刻みに肩を震わせてじっと俯いていた黒鷹が、緑の食卓を指差し叫ぶ。
それはもう、悲鳴にも近い声で。
「もう駄目だ我慢ならない! 私は鷹だよ猛禽類だ! 肉食なのだよ!
なのに何故! 食卓の上にひとかけらの肉もないんだい!?」
「肉なら昨日食っただろう」
さらりと紡がれた玄冬の言葉に、自棄になったような笑みを浮かべる。
金色の目に浮かんだ涙は、たぶん演技ではないんだろうな。
「確かに食べたさ! だが今日はまだだ! これじゃあ栄養が偏ってしまう!
故に! 私は肉を要求するっ」
ぎゃあぎゃあと喚き散らす黒鷹を前に、玄冬の纏う空気が変わった。
ゆらりと何かを立ち上らせて、いつの間にかけたのか眼鏡をクイと押し上げる。
「……そんな我侭が、通るとでも思っているのか……?」
緩やかに笑みを刻んだ口元、けれど目は笑ってなんかいなくて。
その視線に晒されているわけでもないのに、ぞくりと背筋が粟立った。
ああ、魔王モードになっちゃった……。
「……えっと……」
「ほっとけばいい。いつものことだ」
落ち着かない僕に気付いてくれたのか、慣れた様子で食卓を続ける小さい玄冬がぼそりと言った。
ちらりと二人に目を走らせて、やれやれと肩を竦めてみせる。
「どうせ黒鷹が泣くだけだからな。冷めないうちに食べた方がいい」
「え、あー。……、……そうだね」
こっくりと頷き溜息を零し、気にするなと自分に言い聞かせた。
魔王と鷹との攻防を見たくもないのに観戦しながら、フォークに刺さった小世界樹を口の中に放り込む。
噛んで砕いて息を止め、無理矢理胃の腑へ押し流した。
アレさえなければ平和なのにな。
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