単に飽いていたのだろう。
この手を離れた彼の箱庭を眺めることに嫌気が差したのだ。
どうしたものかと思案した折、思いも寄らぬバグが出た。

目を瞠るほどの変貌を遂げ、良い塩梅に乱れた時軸。
湧き出た興味の赴くままに魂をひとつ掬い上げた。
嘘偽りの笑みを浮かべた春色の子供の魂を。










─虚偽改竄に塗れし鬼籍─










それは嵐のようだった。
静寂を徐に打ち砕く足音、不意に開かれ閉じられた扉。
重い瞼を持ち上げると、鮮やかな色彩が飛び込んでくる。

「ごめんねカミサマ、ちょっと匿って」
「……好きにしろ」

こちらが返事をするより早く、我の背後へ潜り込む。
服の裾を引かれる感覚に、ふ、と小さく息を零した。
慌しい足音が通り過ぎ、苛立つ気配が遠ざかる。
失われた静寂が再構築される。





そろりと這い出す気配を感じ、行ったぞ、と声を投げた。
途端に大きく息を吐き、我の隣へ腰を下ろす。
やれやれとでも言いたげに肩を竦め、薄い笑みを浮かべて見せた。

「っとに、飽きもせずによくやるよねぇ、タイチョーは」

閉じかけた瞼がひくりと震える。
薄く開いた視界の隅に、笑みを湛える顔を捉えた。
緋色の眸に懐古の情。隠せていると思っているのか。

「生真面目過ぎる所とかさ、ホントそっくり」

さすがはご先祖様って言うかさァ。

くすくすと肩を震わす様にひとつまたひとつと苛立ちが募る。
この子供は、あれに惹かれているのだろう。
嘗て傍近く在った者と映したように似ているのだから。





「やはり、か」
「え?」

零した声音を聞き取ったのか、キョトンと両目が丸くなる。
首を小さく傾げて見せ、何が? と短く問いを投げた。

「主はあれを追い続けるのだな」
「あれ、って……タイチョーのこと?」

返された問いには頷きをひとつ。
相手は疑問の色も濃く、どういうことかと視線で問う。

「重ねているのだろう? その幼馴染とやらに」

告げると小さく息を呑み、すぐさま首を横に振った。
こちらを見据える緋色の目には剣呑な色がちらりと覗く。

「違うよ。確かにちょっと似てはいるけど、タイチョーはあいつじゃない」
「では何が違う」
「何、って」

狼狽えるように視線が泳ぎ、じり、と僅かに後ずさる。
ひたとこちらを睨み据える目には微かな畏怖が見て取れた。





壁に背を当て、逃げ場はない。
気丈に表情を繕ってはいるが、その顔は血の気を失っていた。
見開かれた目は怯えを孕み、視線が四方へ泳ぎ彷徨う。

「声も仕草も姿形も、どれもが同じものではないか」

故に重ねて見るのだろう?
会えぬ者の代用として。

一言二言連ねる度に、相手の顔から笑みが消える。
小刻みに震える薄い唇は言葉の紡ぎ方を忘れたよう。
歯の根が合わずにカチカチと鳴り、目には薄く涙の膜が。

「ちがう……そんなんじゃ……!」
「では何故あれの名を呼ばぬ」

途端にびくりと身体が跳ねる。
吐息のような声が漏らされ、瞬きを忘れた目元に涙。
す、と手指を伸ばして触れて、頬を濡らす水滴を拭う。
怯え震えるその様を目に、腹の底では笑みを深めた。





「重ねておらぬと言うのなら名を呼んでやれば良いだろう」
「っそれ、は」
「出来ぬのか?」

言葉に詰まり黙った相手に、ふ、と薄く笑みを浮かべた。
もう少しだ。もう少しで、この子供を手に入れられる。
鴇色の髪に指を絡ませ、俯く耳元に唇を寄せた。
甘い睦言を囁くように、追い詰めるように言葉を紡ぐ。

「あれも哀れな男だな。他人と重ねられているとも知らずに」
「ち、が……ちがうっ」

悲鳴にも似た叫びを上げて、転がるように逃げ出した。
緩慢な動作で立ち上がり、遠ざかるその背中を追う。
彩の城、長い回廊。ひとつだけ薄く開いた扉。
するりと身体を滑り込ませ、こつ、と踏み出せば震える気配。





暗がりに浮かぶ白い姿。
開かぬ扉に縋りながら、怯えた緋色を涙で濡らす。
こないで、と震える声。
駄々を捏ねる子供のように左右に振られる細い首。
鴇色の髪がさらさらと鳴き、僅かな光に煌いた。

伸ばした手指が触れる寸前、不意に背中で音を聞く。
扉が軋み開かれる音、徐々に近付く軍靴の足音。
不躾な気配に眉を寄せ、苛立ち紛れに舌打ちひとつ。
怯えた子供をその場に残し、暗がりの中へ身を潜めた。

ランプの明かりが周囲を照らし、現れたのは銀髪の男。
蒼い双眸を僅かに眇め、蹲る姿に目を瞠った。

「救世主! こんな所にいたのか!」

呼ばれた子供はその身を震わせ、恐る恐る振り返る。
佇む姿を捉えた途端、くしゃりと顔を歪ませた。
涙を流すその表情に相手は驚き立ち竦む。





「……ッ銀閃!」
「な、」

呼ばれた名前は違う音。
けれど伸ばされた腕を払いはしない。
手にした灯りが滑り落ち、ガシャンと耳障りな音をたてる。
石造りの床に叩き付けられ、周囲は再び闇に呑まれた。

引き寄せられるままに腰を折り、その場にトンと膝を突く。
縋る細腕は首に回され、泣き濡れた顔を胸元に埋めた。
困惑しきった表情で、どうしたんだ、と問う声がする。

「どこ行ってたんだよ、ずっと、ずっと探してたのに!」
「おまえ、何を言って、」
「置いて行かないでよ、俺を一人にしないで……!」

何でもするから、お願いだから。
ひとりは嫌だよ、ねえ、一緒にいて。

泣きじゃくりながら、そう繰り返す。
縋られた方は背に手を回し、大丈夫だ、と繰り返した。
惑う色は拭えぬまま、それでも腕を解こうとはしない。
薄々感付いているのだろうに、敢えて素知らぬ振りを通して。





その様を目に、薄く笑む。
ゆったりと口端を吊り上げて、込み上げる想いを昇華させた。
抱え孕んだ独占欲と、捻れ歪んだ愛情と。
向ける相手は彼の腕の中、未だに涙を流し続ける。

種は既に蒔き終えた。
あとは芽吹きを待てば良い。
仮に種子が腐りかけても、掬い上げればそれで済む。





あの時のように引き離せばいい。
それが我には叶うのだから。
思うがままに何度でも、あれをこの手に出来るのだから。











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