部屋を訪ねても相手は不在で、おや、と僅かに目を瞠る。
どこへ行ってしまったのだろう。折角会いに来たというのに。
いつまでも扉の前で待つわけにもいかず、仕方なく踵を返したら。
丁度帰って来たらしい子供が目を丸くしてこちらを見ていた。










─やわらかな水色─










ととと、と駆け寄る軽い足音、こちらを見上げる大きな目。
微笑みながら迎えると、花白はことんと首を傾げた。
昔と代わらぬ幼い仕草に自然と笑みが深くなる。

「ああ、良かった。探しに行こうかと思っていたんだよ」
「僕に何か用?」

不思議そうな顔をしながら中へと促すやわい声。
背中に隠した手土産を、その鼻先に差し出した。
きょとりと瞬く艶やかな赤。
私の顔と土産の品とを行ったり来たり、繰り返す。

「美味しいと評判の菓子をね、持ってきたんだ」
「……僕もう子供じゃないんだけど」
「おや、じゃあこれは要らなかったみたいだね」





一緒に食べようと思っていたんだけれど、残念だよ。
しゅんとした風を装えば、慌てて首を横に振る。
待ってと縋る小さな手のひらが私の袖をきゅうと握った。

「どうしたんだい、花白?」
「……お茶、淹れるから、その……仕方ないから付き合ってあげてもいいよ」
「そうかい?」

小さな小さなくぐもる声で、ぽつぽつと紡がれた嬉しい言葉。
俯きがちな子供の顔は覗き込まなければ見えないけれど。
髪の隙からちらりと覗く小さな耳は真っ赤になって。
意地悪な物言いをしてしまったことを心の中で謝った。





こぽこぽと注がれる香り高い紅茶。菓子皿の上には先程の焼き菓子。
ふくふくと立つ湯気は白く、差し出す子供の顔は赤い。
不機嫌さを装う尖った口で、どうぞ、なんて呟いた。

角砂糖をひとつふたつと落とし、銀色のスプーンで掻き混ぜる。
くるくると渦巻く紅茶の海に真っ白いミルクが注がれた。
美しい文様の描かれた水面は、やがて甘い色へと変わる。
カップを手に取り息を吹き掛け、ちびりちびりと熱そうに。





「……なに?」
「うん? ああ、いや、何でもないよ」

じっと見ていたら気付かれて、慌てず騒がずはぐらかす。
こてんと首を傾げる様に、ふふ、と小さく笑みを零して。

「こうして二人でお茶をするのも久々だなぁと思ってね」
「……そうだね」
「また付き合ってもらえたら嬉しいんだけれど、どうだい?」

カップを手に取り投げた問い。
子供は焼き菓子を齧った所で、もくもくと音なく口元が動く。
手元に置かれたカップの中の、やわらかな水面を見詰める目。
底に沈んだ問いの答えを掬い出そうとするかのように。





「嫌、かな?」
「っ嫌じゃないよ……!」

ぱっと顔を上げ、返された言葉。
それが嬉しくて、嬉しくて。
頬が緩むのを自覚しながら、一層笑みを深くした。

「本当かい?」
「……こんなことで嘘吐いて、どうするのさ」
「それもそうだ」

ふふふと零れる小さな笑みが、どうやらお気に召さないらしい。
怒ったように眉を吊り上げ、何がおかしいのかと問う。
馬鹿にして笑ったわけじゃないんだ。
嬉しくて嬉しくて零れてしまうんだよ。

そう口に出来たら良いのだけれど、それらの言葉は飲み込んでしまおう。
訝しむ視線も、照れ隠しの声も、この子の全てが私に向けられている。
これ以上の至福があるだろうかと微笑む下でひとりごちた。










リクエスト内容(意訳)
「幸せな灰花」

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