彩国に住まう救世の使徒は類い希なる力を持ち、その強きことは数万の兵にも匹敵する。
周辺諸国は元より、彩国内でもまことしやかに囁かれている噂だ。
噂は噂と切り捨てられれば、こうも苦労はしないだろうに。

悪いことにこの噂には巨大なオマケが付いていた。
その容姿たるや姫神の如く見る者全てを魅力する、と。
これが誇張の尾鰭ではないのだから、まったくもって質が悪い。










―討たれるべきは―










「大変ですっ隊長!」

ばたばたと慌ただしくやって来た兵が、はっと息を飲み目を泳がせる。
どうしたと俺が問うより早く、どうしたの? と救世主が言った。
僅かに首を傾けながら、立ち尽くす相手へ視線を注ぐ。
駆けて来たためか頬を上気させ、兵は居住まいを正して告げた。

「哉の地で内乱が勃発したとの知らせが」
「……内乱……哉でか?」
「はい」

ここ数年は季候も安定し、税率とて高くはない。
周辺諸国との関係も良く、何ら問題のない国であるのに。

「理由は何だ?」
「……それが、」

言い難そうに口篭り、兵は救世主をちらりと見遣る。
なぁに? と首を傾げる様を見、またも頬を染めて目を逸らした。
一度唇を引き結び、今度は俺へと視線を向ける。
今にも揺らいでしまいそうな目で、意を決したかのように口を開いた。





「救世主様と目が合ったのは誰か、と」
「……は?」
「で、ですからっ」

先日の視察の折、救世主様と目が合ったのは誰かを巡って、内乱に。

視察? ああ、俺と救世主が行った、あれか。
哉は季候が良かったな空は晴れ風は穏やかに鳥の囀りと羽音を運んで。
回転の悪い思考を巡らせ、兵の告げた言葉を反芻する。
目が合ったのは誰か、だと?

「……、……そうか」
「た、隊長。我々は、その……どうしたら……」
「放っておけ。哉からの要請があれば動かないでもないが、」

そんな馬鹿げた争いに、わざわざ兵を割いてやる義理はない。
たとえそれが救世主の引き起こしたことだとしても、だ。
まったく哉は何を考えている?
いいや何も考えていないから下らない内乱が起こるのだな。
ああそうだそうに決まっている。





苛立ち紛れに頭を掻くと、視界の隅に見慣れぬ姿が。
はた、と僅かに目を見開いて、ようやく立ち尽くす部下の存在を思い出した。

「ご苦労だったな。下がってくれ」
「ぇ、あ……はっ! 失礼します!」

俺と救世主それぞれに一礼し、部下はくるりと踵を返した。
が、廊下を歩む足音が消え、ぐしゃ、と鈍い音が聞こえる。
転んだんだろう、たぶん。





「……えーと」

慌しく掛けて行く足音を追いながら、救世主が小さく声を漏らした。
大丈夫かな、などと言いながらも扉を開けて窺う気などはないらしい。
俺が深い溜息を吐くと恐る恐ると言った風に歩みを進め距離を詰めてくる。
そっと俺の顔を覗き込み、あのさ、と珍しく控え目に。

「……、……ごめん、ね?」
「おまえのせいじゃない」
「でも、さ」

俺のせい、でしょ?

くしゃりと笑顔を繕いはするが、しょげたように眉根が下がっている。
少なからず責任を感じているのだろう、普段よりも表情が冴えない。





「俺のために争わないで! とか言ったら、収まらないかな?」
「そんな真似はしてくれるなよ頼むから」
「えーなんでさ?」
「余計に拗れる」

そんなことで収まるとしたら、それこそ哉の国民性を疑う。
伝承で語られる大国を傾けた女でもあるまいし。
幼馴染がそんな馬鹿げたことに巻き込まれてたまるか。

「考えなしに流し目をくれてやったんじゃないだろうな?」
「そーんなことはしてません! ……ただ、」
「ただ? ただ、何だ」

じとりと半眼で視線を投げれば、気まずそうに視線が泳ぐ。
何かやらかしたんじゃあるまいな。
言外にそう含ませると、もご、と口元が僅かに動いた。
聞き取れるギリギリの小さな声が、するりと耳に滑り込む。





「えっと、その、露店の串焼き肉が美味しそうで、」

ちょっとだけ、じっと見ちゃいました。

その告白に目を剥いて、瞬きをすることさえ忘れた。
部屋に据え置かれている時計の針が何の感慨もなく時を刻む。
黙り込んだ俺の顔を相手がそっと覗き込んだ。
不安げな色の見え隠れする目が、戸惑うように揺れている。

「ねえ、」
「……」
「あの、銀閃……?」

おずおずと名を呼ぶ相手の頭に、ぽん、と軽く手を置いた。
驚きに瞠られる紅い目には、もういい、とだけ目配せを。
溜息と共に吐き出した怠惰感は室内に溜まり凝るようだった。










討たれるべきは肉、か。











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