少し手を伸ばせば届く距離。
望めば容易く触れられるのに、なのに躊躇い迷ってしまう。
何気なく笑ってみせるのだって、決して簡単なことではなくて。
指の先が触れただけでも呼吸が止まりそうになる。
気付かれないよう微笑みながら、ねえ、と投げた甘い声。
足が止まって、振り返る。
ただそれだけで心臓が跳ねた。
―twilight―
ねえキスしてよと囁いたのは、執務室へと戻る途中で。
子供が菓子を強請るみたいに可愛らしく小首を傾げた。
駄目だろうなと思いながらも、くいと相手の袖を引く。
今は忙しい後にしろ馬鹿言え場所を考えろ。
そんな言葉が一巡りして、諦め半分見上げたら。
顎を軽く支えられ、掠めるだけの口吻けが落ちる。
すぐに離れたその感触が信じられずに目を見開いた。
「……何だ、その顔は」
うっすらと頬に朱を掃いて、眉間に深い皺を刻む。
真っ直ぐな視線に晒されたじろぎ、ふるりと首を横に振った。
「まさか本当にしてくれるなんて、思わなかったから」
「しろと言ったのはおまえだろう」
「っそれは……そう、だけど」
もごもごと言葉を濁す間に彼はくるりと踵を返す。
行くぞと告げる相手の耳が真っ赤になっているのを見付けた。
嬉しくて、照れくさくて、けれど開いた距離が悲しい。
いつもみたいに突っ撥ねられたら、こんな風には思わないのに。
馬鹿を言うなと叱ってくれたら、諦められたかもしれないのに。
「何をしている! 行くぞ!」
足の止まった俺を呼ぶ声。
振り返る蒼と目が合って、咄嗟に繕う薄笑い。
いま行くよ、なんて言葉が、どうしてするする出て来るんだろう。
手を伸ばしたら届くのに。足を速めれば追い付けるのに。
彼に触れて、言葉を交わして、少しずつ少しずつ埋められていく。
あたたかな想いが、凍てつく不安が、ざらりざらりと流れ込む。
空っぽだった心が軋んで、泣きたくないのに涙が滲んだ。
リクエスト内容(意訳)
「甘いけど少し切ない話」
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