夜闇に沈む村を抜け出し、暗い森をひた走る。
白く華奢な手を握り締め、離すまいと力を込めた。

ぽつりと鼻先に落ちた雨粒。
強さ激しさ次第に増して、視界は暗く遮られて。

不意の轟音、迫る地響き。聞こえるはずのない悲鳴。
振り返るなと自らに言い聞かせ、ぬかるむ夜道をただ駆けた。










─水郷沈花─










案内の子供に手を引かれ、導かれた場所には祭壇と舞台。
巨大な鳥居と注連縄に囲まれ、異様な空気に包まれていた。

ざわめく村人が口を閉ざし、しん、と辺りに静寂が満ちる。
無数の視線が向かう先、釣られて見遣り、息を飲んだ。
数年振りに目にした友人の姿が、まるで別人のようだったから。

巫女装束に身を包み、こそりとも音を立てることなく舞台中央へ進み出る。
一切の感情を排斥した顔は能面にも似た無表情。
鈴の音、太鼓、笛の旋律。それらに併せて舞い踊る。

滑らかな動作で腕を掲げ、円を描いて胸元で合わせる。
かと思えばすぐに剥がして、ひらりと袖を揺らして回った。





なんの祭りかと子供に問うと、人差し指を口元へ。
静かに、と声なく制されて、ぐ、と言葉を飲み込んだ。
大切な祭りなのだろうか。父が来たなら喜んだろうに。
そう思いながら視線を戻し、舞い続ける巫女を目に映す。





徐々に早まる音楽につれ、巫女の動きも激しさを増した。
長くはない髪を振り乱し、乱れた裾からは脚が覗く。
踏鞴を踏むかのようによろけ、細く白い腕を天へと掲げて。

不意に落ちた静寂と、微動だにせぬ祭壇の巫女。
息の詰まるような沈黙の後、巫女の腕がだらりと落ちた。
天を仰ぐ能面の顔が、緩やかに観衆へと向けられる。

途端にざわめく村人の声、緊張の糸の途切れた音。
知らず、ほう、と息を吐き、傍らに立つ子供を見遣った。
こちらの視線に気付いたのだろう、顔を上げて俺を見る。
言葉少なな子供の手が、こっち、と俺の袖を引いた。





「そっか。灰名は来られなかったんだね」

残念だなぁと肩を落とす様は昔と何ら変わらない。
鴇色の髪も、緋色の眸も。顔をくしゃくしゃにして笑う顔も。
ほんの少しだけ大人びて、背丈が伸びただけだった。
先程の巫女とはまるで別人だな、と心の奥で密かに思う。

ころころと笑う鈴の声に、滲み出るような懐かしさを覚えた。
それと同時にふつふつと湧く、言いようのない遣り切れなさ。
抜けるように白い肌は、きっとずっと冷たいのだろう。
幼い頃のように触れたくとも、格子を挟んでは叶わない。

「見事な舞いだったな」
「そう言って貰えると嬉しいよ」

ふふ、と照れくさそうに笑って、その白い指を格子へ伸ばす。
桜に色付く薄い爪が、かり、と木肌を引っ掻いて。
格子に縋るようにしながら相手は身を寄せ俺を呼んだ。





「頼みが、あるんだ」

不意に落ちた声音、吐息ばかりにひそりひそりと。
聞き取れるよう距離を詰め、何だ、と潜めた声で問う。
薄々感付いてはいたけれど、覚えた不安を打ち砕いて欲しかった。

寄せた耳、流れ込む声。
聞き取り、理解し、目を見開いた。
眉間に深い皺が刻まれ、知らず知らず拳を握る。

「何故、おまえが」
「……家系だから。仕方ないんだよ」
「っ、他に手はないのか!」

思わず荒げた声にも怯まず、相手はただただ微笑むだけ。
困ったように眉を下げ、ない、と小さく、はっきりと。





「もう、銀朱にしか頼めないんだ。だから、ね……?」

格子の隙から伸ばされた腕。
白い白い手のひらが、俺の頬へと押し当てられる。
何人たりとも巫女に触れてはならないのだと、自分で言っていた癖に。
想像通りに冷たいその手に、離れがたくて手のひらを重ねた。

「迎えに戻る。必ず」

間に合うはずがないと知りながら、そう紡がずにはいられない。
そんな言葉を望んではいないのだと、解っている。
けれどどうして出来ようか。月白を置いて行くなんて。

「……うん。待ってる」

座敷牢の格子を挟んで、微笑む顔は泣きそうだった。
そろそろ行って、と離れてゆく手を追い掛けたいのを必死で堪える。
家人に見付かればただでは済むまい。だからここへはもう来ないで、と。
そう言って、気遣って、元気でね、と投げられた言葉。
今生の別れを暗示させるよな哀色の音に涙が滲んだ。





強まる雨に視界を奪われ、幾度ぬかるみに足を取られただろう。
外へと通ずる鳥居まで、あと少しという時だった。
不意に握った手が離れ、弾かれるように振り返る。

「っ兄さん!」

来た道を戻る小さな背中。桜の髪と深紅の眸。
ひとり残してきた友人の、三つ下の可愛い弟。
駄目だ戻れと後を追い、折れそうな腕を強く掴んだ。
嫌だ離せと泣きじゃくる声は降り頻る雨に掻き消される。

ああ、この子は知っているのだ。
兄の背負った役割を。自らも歩むその道を。

花白! と子供の名を呼んだ矢先、低い地鳴りが周囲に響く。
はっと大きく見開いた目に、大水に呑まれる村が映った。
土砂を巻き込み濁った水が村と人々を押し流す。

その中心には月白が、子供の兄が、いたはずで。
絶えぬ水害を治めるための贄となる時を待っていたはず、で。
脳裏に浮かぶ微笑み淡く、この手を伸ばせば触れられそうな。
夢幻だと必死で打ち消し、血が滲むほどに唇を噛む。

ガタガタと震える細い身体を両の腕で抱き締めた。
雨音を裂く悲鳴と嗚咽が鼓膜に心に突き刺さる。





「花白を連れて、村を出て」
「俺の代わりに、守ってやって」





父に宛てた手紙の中味が、今になってようやく解った。
急ぎなさいと告げる顔に、いつになく余裕がなかった訳も。
身体を壊してさえいなければ、自ら村へ出向いただろう。
父ならば、二人とも救えただろうか。月白を見捨てずに済んだだろうか。

湧き出る後悔を噛み殺し、力を失った子供を抱き上げる。
弱々しい嗚咽を肩口に、せめてこの子に幸多かれと今は亡き友に願いを投げた。





リクエスト内容(意訳)
「巫女装束(女装)未来救。切ない銀救」

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