どうして伝わらないんだろう。
椅子にじっと座ったままで思考をぐるりと旋回させた。
恨みがましく視線を投げても相手はちっとも気付かない。
苦しげな声で名を呼んで、悲しい色の目に俺を映して。
髪に頬にと手を触れさせて、眸を昏く陰らせる。
そんな顔をさせたいわけじゃ、ないのに。
―希う―
書類に向かう彼の目が、ちらりとこちらに向けられた。
ペンを走らせる手が止まり、重苦しいまでの沈黙が落ちる。
不意に彼は席を立ち、コツコツと歩み寄ってきた。
分厚いカーテンをさっと引くと硝子張りの大きな窓。
燦々と降り注ぐ陽光と、硝子越しに臨む世界。
キィ、と金具を軋ませながら、窓は大きく開け放たれた。
木々の緑がさわさわと鳴き、吹き込む風に髪が流れる。
僅かに蒼を細めながら、彼は口端を緩く上げた。
「いい風だな」
ふ、と鼻から息を零し、ゆっくりとこちらへ向き直る。
窓際の、日当たりと風通しの良い場所に設えられた椅子の上。
そこが、今の俺の定位置で。
ゆっくりと僅かに屈む相手が日差しを遮り影が落ちる。
乱れた髪を整える指がカチンと微かな音をたてた。
硬くて冷たい、無機質な音。
頬に、人肌に触れたのならば決して鳴らぬ類の音。
途端に彼の表情が曇り、蒼がどろりと濁りを生む。
震える手指がぱたりと落ちて、俺の冷たい指を握った。
ぎしりと軋む音を聞き、はっと息を飲み手を離す。
赤くもならない俺の手を、震える指でそっと撫ぜた。
色の失せた唇からは、すまない、と微かな吐息の声。
「……月白……」
滅多に呼ばれることのなかった真名を紡がれ息が止まる。
呼び返そうと口を開いて、けれど音は吐き出せずに。
縋るように仰ぎ見る目が、伸ばされる腕が愛しくて。
触れたいのに触れられない、応えたいのに応えられない。
それが、堪らなく苦しい。
「ころして」
扉を潜り出て行く背中に何度も投げた願いごと。
届かないと、伝わらないと、思い知らされた唯一の。
作り物の体の中で、渦巻く想いを抱え続ける。
俺がいるのはあの石の下じゃない。
ここにいるのに。そばに、いるのに。
どうしてこんなことになったんだろう。
自分によく似たこの人形は、どういう経緯で彼の手に……?
旋回していた思考が落ちる。
真っ暗だけど、明るい場所へ。
凍るような、温かい場所へ。
「おわりに、しよう……?」
彼のいない部屋の中で風の声だけが俺に届いた。
硬く冷たい俺の頬を、柔らかな風が撫でていく。
その風を孕んで翻る布地を俺の手指がはっしと掴んだ。
布が指に絡んでしまって、そう見えているだけかもしれない。
けれど、布地は手の中にある。
離れないように、離さないように。
ピクリともしない指先に、必死になって力を込めた。
どうか、どうか、外れませんように。
ただそれだけを祈りながら。
さやさやと遠い葉擦れの音が、不意に激しく大きくなる。
強風に煽られ、カーテンがはためく。
手に握られた布地の端も、それに釣られて強く引かれた。
腕を取られ、体が傾ぐ。
均衡を失った作り物の器は、呆気なく椅子から転がり落ちた。
徐々に近付く床を目に、口の端だけで薄く笑む。
陶器の肌と、硝子の目玉。
どれほど細かく砕けるだろう。
直す余地もないくらいに、粉々になってしまえばいいのに。
じきに戻るであろう彼の人を想うと心が軋んで潰れそうだった。
いっそ潰れてしまえばいいんだ。
そうすればもう、あんな姿を見ないで済むもの。
椅子から転げて壊れた人形。ころり零れた緋色の硝子。
拾い上げた手の中で、涙するように砕けて散った。
リクエスト内容(意訳)
「観用人形な未来救」
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