猫の子一匹通れる程度の狭い隙間を作った扉。
軽く引けば僅かに軋み、暗い内部を曝け出す。
目に映るのはランプの灯りと照らし出される鴇色の髪。
石段に座した背中を認め、はあ、と深い息を零した。










─辿る懐古の軌跡─










差し込む光に気が付いたのか、扉の軋む音を聞いたか。
こちらを振り向く救世主の目が驚きに丸く見開かれた。
腕を突き、身体を捻って「タイチョー?」と小さく俺を呼ぶ。

「こんな所にいたのか」

溜息混じりにそう呟き、背を向けた扉を後ろ手で閉める。
軋む音が響くにつれて光が細まり暗さが増した。
周囲を照らすのはランプの灯火。
あたたかくやわらかな、頼りない光。

「俺を探しに来てくれたの?」
「……仕事を放り出して逃げた輩を、だ」

苦く口元を歪めながら、戻るぞ、と相手の肩を掴む。
が、引き起こそうと込めた力が救世主を立たせることはなかった。





人を食ったような笑みの中、ほんの僅かに滲み出る色。
どこか遠くを見るかのように細められた緋色の双眸。
時折目にする表情が、いつにも増して悲しげで。

「タイチョー?」

置かれたランプを取り上げて、その場にどかりと腰を下ろした。
驚いた顔でこちらを仰ぐ年若い救世主のすぐ隣に。
足の間にランプを置き、す、と指で奥を示す。
心許ない灯火では、とても照らし出せはしないが。

「この石段を下った先は長い地下道になっていてな」
「地下道、なの? 地下室じゃなくて」
「物置代わりの部屋もあるがな。城の裏手に通じているんだ」





いくつもの部屋と扉を行き過ぎ、行き止まりまで歩みを進める。
一見すると解らぬ場所に、重厚な造りの隠し扉が。
その向こう側に現れるのは鬱蒼とした緑の庭。
振り返った先には聳え立つ城壁。
ひっそりと設えられたその扉は、存在を隠すように蔦蔓に覆われていた。





遠い記憶を探り辿って、ふ、と小さな笑みを零す。
あの時こうして隣にいたのは、彼に良く似た小さな子供。
暗がりに怯えて背に隠れ、俺の手をぎゅっと握っていた。
連れて行けと強請ったのは、いつもあいつの方だったのに。

「子供の頃、よく付き合わされた」
「花白に?」
「他に誰がいる」

告げれば相手はくすりと笑い、それもそうだねと小さく零した。
そうして視線を遠くへ投げる。
この石畳の先ではなく、ここではないどこかを見据えるように。

「知らなかった、な」

ここが、どこかに通じてるなんて。

ぽつりと零される声音。
吐息に混じる悲哀の色と、懐かしむような微笑みと。
膝を抱えて組まれた指の血の気の失せた肌の色。
込められた力の加減のせいか、小刻みに震えて見えるよう。





「……行ってみるか」
「え?」

立ち上がり、投げた言葉に惑う声。
丸く丸く見開かれた目が灯火を反射しちらりと光る。
ランプを手に取り軽く掲げて、座った相手に手を差し伸べた。
俺の顔と差し出された手を、戸惑い行き交う紅い双眸。

「それともこのまま仕事に戻るか?」

俺はそれでも構わんが。

どうする、と問いを投げ掛けて、自身はくるりと踵を返した。
記憶を辿り踏み出した足。一歩、二歩と繰り返す。
三歩目が地を踏む寸前に、くん、と軽く裾を引かれた。





「……そら」

再度差し出す手のひらに、ひとまわり小さな手が重なる。
ひやりと冷たい白い手を取り引いて、近付く気配に息を吐いた。
好奇心を湛えた目には悲哀も懐古も窺えない。

「まだ通れるの?」
「たぶんな」

狭い範囲を照らす灯火、コツコツと響く足音ふたつ。
冷えた空気に混じっているのは黴と埃の据えた臭いで。
きょろきょろと周囲を見回す相手に、はぐれぬようにと手を握らせる。

延々と続く石畳、いくつもの扉を横目に過ぎて。
積み重ねられた木箱を避けつつ、漸く至った最奥深く。
錆び付いた錠は壊れ砕けて、本来の役目を放棄していた。

顔を見合わせ、同時に笑う。
取っ手に手を掛け力を込めると、耳障りに軋む音が響いた。










広がる光景に息を呑み、頬を伝った涙の雫。
浮かぶ笑顔の穏やかさを受け、俺は見て見ぬ振りをした。











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