執務室に響く控え目なノックに、ペンの走る音が止む。
入室を促す声の後、現れたのは報告の部下。
彼が見たのは仕事に励む己が上司と、ぶすくれた顔の救世主。
二言三言と言葉を交わし、下がっていいぞと短く告げられて。
報告を終えて一礼し、扉へ向かうその寸前。
ご苦労だったなと言葉を投げられ、大きく両目を見開いた。
─希少な笑顔─
ほんの僅かなものだったけれど、浮かんでいるのは紛れもなく笑顔。
普段はあまり見ることのない隊長の笑みに、部下の心臓は大きく跳ねた。
失礼します! と上擦った声、逃げるように扉の外へ。
ばたばたと遠ざかる足音を聞いて、当人はくつくつと肩を喉を鳴らした。
大きな大きな緋色の目に、きつく睨まれていると知りながら。
「……いい加減にしろよ、花白」
低く低く唸るような声。
それを紡いだのは桜の髪と緋色の瞳を持つ少年。
呼ばわる名を持つ本人が、執務机の男を睨み据える。
「なんでさ。部下思いの銀朱隊長を演じてるだけじゃない」
そう言いながら口角を吊り上げて、フン、と小さく鼻を鳴らした。
顔は銀朱その人のものであるのに、口調はまるで別人のよう。
対する救世主は眉間に皺を寄せ、はあ、と大仰に溜息を吐いた。
「気付かれたら面倒だからって、そう言ったのはそっちだろ」
「っ、それは、そうだが……」
「それから、その顔やめてくれる? 戻んなくなったらどうするんだよ」
自らの眉間を指示し、皺、と小声で指摘して。
目を通し終えた書類を一束、ばさりと机へ放り投げた。
「粗末に扱うな」
「そう言うんなら自分でやれよ。僕もう飽きた」
「……分かった、寄越せ」
ずい、と伸ばされた小さな手。
華奢と言うには貧弱な、生っ白くて細い指。
空の手のひらをじっと見て、それから吐き出す重い溜息。
乱雑に積まれた書類の束を慰め程度に整えた。
「……僕の顔してバリバリ仕事されたら後々面倒だから駄目」
書類の代わりに判を手渡し、それはおまえの仕事だろ、と。
納得のいかないらしい自らの顔を、眇めた蒼で一瞥した。
「今日だけ、だよ。戻ったら、いつも通りなんだから」
「……フン、」
判を握り、踵を返し、再び定位置の長椅子へ。
傍らの卓には普段僕が捌くものよりずっと多い書類の山。
変なかんじ。そう思いながら、視線を机の上へと落とす。
「それにしても、」
「なんだ」
カリカリとペンを走らせながら、独り言のよに零した言葉。
律儀に返った小さな声に、こっそり笑みを深くする。
ペン先をインクにとぷんと浸し、ちらと視線を相手に投げた。
訝しむ目に笑い掛け、にい、と口元を吊り上げる。
「随分と部下に愛されてるみたいだねぇ、隊長?」
「っ、煩い」
見る間に赤く染まった頬と、ぷいと背けられた顔。
自分のものだから違和感があるけど、銀朱だと思うとなんだかおかしい。
くつくつと喉を鳴らしながら、ペンを持つ手に目を落とす。
自分のものより大きくて、皮膚の固い銀朱の手。
そっと窺う相手の顔は山の書類に向けられたまま。
それをしっかり確認して、長い指をきゅうと握り込んだ。
リクエスト内容(意訳)
「魂入れ替わりネタ。ギャグ」
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