壊れも狂いもしなかった。
ただ感情に封がされ、不気味なほどに大人しい。
笑いもしない。泣きもしない。
怒ることも悲しむことも、捨て去ってしまったかのように。










―喉焼く様は甘露の如く―










しゃく、と小さな音がする。
汁気の多い果実を手に取り、子供の口元へ差し出した。
薄く小さな唇が開かれ、しゃく、と一口、果肉を食む。

ゆっくりと咀嚼する顎の動きと、こくりと嚥下する白い喉。
口元の果汁をちろりと舐め取り微かに覗く舌は赤い。
滑らかに動くそれらを目にし、ほうと安堵の息を漏らした。

「もう、いい」

喉を震わせ零れ落ちる声。ゆるゆると振られる細い首。
顎の辺りまで伸びた髪が動きにつられてさらりと流れた。
果実を差し出す手を取られ、弱い力で押し返される。





もう食べないのかと問いを投げれば、かくんと微かな頷きひとつ。
ぱたりと落ちたその白い手は、低いながらも熱を宿して。

「……そうか」

手にした果実を皿へと戻し、指を濡らす果汁を舐めた。
口から鼻から押し寄せる香りと、噎せ返るような甘みが満ちる。
べたつく手指を持て余し、片付けのために席を立った。
立とうとしたが、





「ありがとう」





投げられた言葉に、その口調に、両目を見開き動きを止める。
相変わらずの無表情。感情の色の窺えぬ声。
紅い眸は暗くも澄み切り、僅かな寒気を覚えるほど。

「おいしかった。ありがとう」
「……気に入ったか」
「うん」
「そうか」

ぎこちない笑みと言葉を返す。
断りを入れ席を立ち、悟られぬよう息を吐いた。





つらつらと紡がれた台詞が巡る。
以前の花白からは想像もつかない口振りだった。
ああも素直な礼の言葉など、嫌みでもない限り吐かなかったものを。

「……あれは、……」

口にしかけ慌てて飲み込む。
ぐうと無様に喉が鳴いた。





あれは誰だ。花白ではない。
花白の声と形を模した精巧な造りの人形だろうか。
言葉を投げれば返事をする、触れれば確かな熱がある。
よく出来たものだ、手掛けた者は……

取り留めもない思考に侵され、知らず深い溜息が漏れる。

あれは花白だ。それ以外の何者でもない。
人形などではないのだ。生身の、人間なのだから。
心が壊れたわけでもなく、気が触れてしまったわけでもない。
ただ、蓋がされただけなのだ。
感情に、心に。花白と言う自己そのものに。





遣り切れぬ思いを誤魔化すように、零れる吐息を手で塞ぐ。
痺れにも似た甘さの中から微かな苦みが滲んで溶けた。










それは宛ら毒薬の如く。











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