紅茶を注いだカップを手に取り、さっさと椅子から立ち上がる。
普段ならば見咎められるこの行動に、誰も口を挟まなかった。
どれどころではなかったから、いちいち気に留めていられなかったのだろう。
唯一人、鴇色の青年を除いては。










─職業選択の自由─










「ねえ、小さい魔王様」

コツコツと靴音を響かせて、救世主が近寄って来る。
壁際に避難した俺の隣で、壁に背中を預けながら。
普段とは違う呼ばれ方に眉を潜めて相手を仰ぐ。

こちらを見詰める赤い目がきらきらと輝いているように見えた。
仕掛けた悪戯の成り行きを見守る、好奇心と不安に満ちた子供の目だ。

「なんなんだ、その呼び方は」
「いやぁ、小熊くんも大きくなったら熊サンみたいになるのかなーって」

にこにこと、にまにまと、心底楽しそうな笑みを浮かべて。
じっとこちらを見据える目には、どこか期待を滲ませる。
返す視線はじとりと半眼、これ見よがしに眉を寄せた。

「おまえ、おれに魔王になってほしいのか?」

あんな風に、と視線で示したその先に、逆光を背に佇む男。
光る眼鏡を指で押し上げ、空いた方の手には菜箸が。
小脇に抱えたボウルからは溢れんばかりの緑が覗いている。





数歩離れて対峙するのは背丈の違う二つの人影。
冷や汗を浮かべた花白と、引き攣った笑みの黒鷹と。
ちらりとそちらに目を遣って、相手はふるりと首を振った。

「うーん。ああいうのは嫌かなァ」

でも、小熊くんなら優しい魔王様になってくれそうだね。
くしゃくしゃと髪を掻き回しながら、本気とも上冗談ともつかぬ声音で。
ちょっとやそっとじゃ引き下がらないだろうと、内心で盛大に溜息を吐く。

考え込むような素振りを見せて、そうだな、と小さく漏らした。
相手の耳に聞こえるかどうか、ギリギリの声量で。
それが彼の気を引くだろうことを承知の上で茶番を演じる。

「……おれがやるなら」
「んー?」
「見た目も味も解らないように、みじん切りにするなり磨り潰すなりするけどな」

こっそり毒を盛られるように、気付かぬうちに嫌いな物を口にする。
勿論、不味いとは言わせない。食わせるからには美味い物を。
好き嫌いを克服出来て、その上美味い食事を得られるのなら、それに越したことはないだろう?





それで、と相手を仰ぎ見る。
びくりと小さく身を震わせて、救世主は居心地悪そうに視線を泳がせた。

「これでも、おれが魔王になるべきだと思うのか?」
「……ええと、いや、あの……小熊くんは、小熊くんのままでいて下さい」
「解ればいいんだ」

今のところ俺は魔王になる気はないからな。
おまえが望むなら、考えてみてもいいけれど。
小声で続ければ首を横に振り、それだけはよしてと止められた。

飲むか、と差し出した紅茶のカップを苦笑しながら受け取る指。
一口啜って顔を顰める。
物言いたげな視線を向けられ、けれど気付かぬ振りを通した。










角砂糖を九つ落とした紅茶は喉が焼けるほど甘かったことだろう。










リクエスト内容(意訳)
「こく→救ギャグ。こくろの戦略勝ち」

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